2012年9月5日水曜日

【50歳の手記】




【50歳の手記】

今で思うに戦後まだ67年の歳月が過ぎただけであり、現在において日本は、隣国との間で今なお子供の喧嘩様な事に巻き込まれている。しかし、世界各国を見渡しても大きな戦争は、起きていないが、小規模な戦争やテロがおきていることは事実であり、人間の進歩は、未だ猿並みである。第一次世界大戦から第二次世界大戦(大東亜戦争)と続き最後は亜米利加との対戦(通称「太平洋戦争とも称され戦後のに用いられることは、このことを指しているようである)現在の日本に住み戦後まもなく生まれた50代から60代の人達は、戦争を知らない世代だが、戦後の傷跡を受け継いでいる世代でもある。傷跡とは何か、現在において同和という言葉を耳にすると思うが、このことにも関連していることであるり、ここでは、同和のことに触れないで措きます。しかし、これから話すことは、何故か表面化には成っていなく水面下ギリギリで、生きてきた人達であることは確かであると思う。私とて例外ではない。事実その仲間入りでもあり、形は違えど似たようなケースとも言える事である。

少し話題から逸れるが少し関連話を話すことにしよう。歴史上朝鮮半島と日本国は、併合を起点とし国交を融合的に来たが、朝鮮戦争を境に国交は、韓国のみであり、また国交するも問題を多く抱えてのことだ。また北朝鮮においては、行き来していたことは現代においての名残は北朝鮮の万景峰号(マンギョンボンごう)が北朝鮮の清津と新潟を定期的に往復している北朝鮮の「 貨客船」でしたが、日本側は、現在入港を拒否しています。併合で渡って来て日本に住み仕事をしたりひょっとして日本人と結婚した人達も居るかもしれません。その人達は、1956年に祖国退去命令がだされほとんどの人は祖国に帰ったが、一部の人達は、日本に残った方も居るようです。歴史上から見ても戦前前の日本は、単一民族国家であったが、戦後上記の理由等から現在の日本人は他民族の血も入った種族になっていると思います。しかし、いろいろな事情から日本人として育った人達の環境がどうあれ日本教育で育ったことに代わりなく日本人としての誇りを持っていることとん願いたい。

しかし、現代の現実において実社会では、反日教育を日本国内でまかり通るって居ることのほうが問題である。ここでは深くこの事に関わらないこととしますが、朝鮮の方達のことを少し関連リンクを挟んで話をします。韓国の場合は、日韓併合で、日本人として共に戦った英霊の中にも朝鮮の方達も靖国神社に眠っていると聞いています。下記に関連さまをリンクしています。また、北朝鮮と日本の関係は、力不足のためインターネット検索では見つけられませんでした。しかし、上記に述べたように、以前北朝鮮船籍の万景峰号が入港していたり、朝鮮学校が現在にあることは、何よりの証拠で、日本と北朝鮮との関係はただならぬ関係と推察しています。戦前日本と朝鮮半島の関係は下記の「北朝鮮と日本の関係」さまで述べられていることから韓国併合から繋がった関係であると思っていますが・・・私は無知でもあるのでその辺はご理解いただき個々で不思議でしたら調べてください。


下記さまのリンクサイトに述べられていることも参考にしてみてください。

〔日韓併合の真実「朝鮮民族はなぜ太平洋戦争を喜んだのか」〕
http://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/60894101.html

北朝鮮と日本の戦争 ~日朝戦争~
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-129.htm

北朝鮮と日本の関係
http://www.nfledge.com/entry8.html

韓国学校 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/韓国学校

朝鮮学校 Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/朝鮮学校



しかし、日本の戦争の歴史はアメリカ との最後の戦争で戦争に終止符したるも、その後、朝鮮半島で戦争が勃発し、朝鮮戦争が要因で日本になだれ込んできた朝鮮の人々は、難を逃れようと、戦争で痛手を被(こうむ)っていた日本に続々移民してきて、日本人といざこざを起こすなどし、酷いことに、戦争で家族が亡くなり空き家になった家に住み着き現在に至る人達も居たりといった経緯もあり、現在においては、また違った形から帰化人が増えて問題の要因が火種と成って違った形の日本国内のもう一つの問題でもあるのが今の日本の現状である。


話を元に戻します。

私が、生まれたところは、長野県の北部ど田舎で、戦前では、蚕飼育で、繭から絹糸を取る紡績工場があり、多分朝鮮半島からも日本に働きに来ている人達が沢山居たことも分かっており、まさか明治維新後、戦争が起こるとは、思っても居なかっただろう。しかし、現在の時代も他国の人達と結婚を許されている以上、福島の人達の中にも国際結婚をし隣国との関係で夫婦となって生活をしていたが、福島で起きた大災害で、親が祖国に逃げ帰り置き去りにされた孤児達がいる最近の背景がある様に、当時、日本にも形は違えども戦争が起こり、戦前日本に居た朝鮮人を祖国に送還命令が出て置き去りにされた孤児達も沢山日本にはいたと思います。その時代は孤児院などは無く関係者に引き取られて生きられた人達の年齢は、50代から60代であると思います。私は、1953年7月4日生で当時3歳であった。私とて例外ではなく当事者になった記憶があり、実際に親が国際結婚なのか関係者に隣人が居たのかは定かではないが、断片の記憶を辿ると母と思われる人も上記の要因でいなくなったのではないかと3歳の当時の断片的な記憶を辿るとそれらしき光景が記憶から呼び起こされます。

以前にもブログにも述べましたが、同和に関わる人達が、日本人として生きてきて、もし、反日教育もされていたとしたら日本人でありながら日本の誇りすらなく反日かである売国奴になっていることもあり、ましてやいろいろな企業にも就職しそれなりのポジションに居座り、また政治かも、生い立ちを隠しそれなりの地位に登りつめたら本性を露(あらわ)にしてくることを思うと背筋が凍り付く思いをしたことを思い出されます。現在の日本政府の政権である政治家は帰化人と称されているが、上記に類似した人達のネットワークからではないかと思っています。来る時が来たって言う感じがしてならない。東北大災害(太平洋沖地震)が起きて、原発(原子力発電所)の核融合炉も臨界に達したら大変なことにもなり、放射能も放出されているようで、また、放射能を含んだ瓦礫処理を核都道府県に拡散し処理させ焼却処理させようとTTPを促す行為もしている風にも見えることも否めないが、従来の放射能廃棄物は、地価深く埋めるかして処理する値なのに何故焼却処理なのかまったくもって基地外沙汰なる行為であり、しかも行政に携わる人達が率先して行動していることも信じられなく人間の行動ではないようにも思えるほどです。

国の体制に対して疑問を提示してまいりましたが、どこの国も国民を一番と考えず国とも考えず利己主義的私利私欲の為にただ蠢(うごめ)いているだけであり国民の立場に立った考え方をした国家体制ではないとはっきり現代社会において証明されたといっても過言ではない。





追記;

上記「同和」に関して、日本においてタブーとされる言葉で、また、いろいろな絡み合った背景があり、一言では説明が出来ません。個人的には、互いに日本に住んでいる以上他国と同様に国際結婚の比率のほうが高く未来では「皆人類兄弟」カルト的CM用語みたいですが、世界情勢の先進国、新興国の背景を見ても近い将来逆転する勢いです。日本でも愛国心をもった繋がり方を望むところであり、もし実現すれば素晴らしい日本国家になり得るのではないかと確信もしています。

人間の歴史を垣間見ると人間界から見ると凄いようであり宇宙的から見れば大した事ではないような人間の歴史のようにも思われ、複雑な心境になりますが、どちらにしろ現在人間社会に現実に生きていることを認識し個人がなすべきことをなすことに没頭するのみと悟り至る。





「戦後」とは - 戦争が終わった後。アプレゲール。 日本では一般に第二次世界大戦以後の事を指すことが多い。

大東亜戦争への経緯
http://www35.atwiki.jp/kolia/pages/67.html



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