2008年8月21日木曜日

【運命の道しるべ】

人間、長く生きていると、不思議な事が沢山経験する。今の若者達の中には、ちゃんと人生の目標を持ったり、夢に向かって着々準備をして将来の計画を立てた道を突き進んでいる方達が大半と言ってもいいでしょう。そんな中、夢も無く目的も無い若者や大人も中には、居ます。最初に何となく人生を考えるのは、思春期の頃だと思います。
でも、思春期なる時期は、本人は、気が付かず、身近の親なり、隣人、大人達が口走る時が多分思春期と思われ、通り過ぎていくようです。

最初にぶつかる問題が、就職活動である。その間、悩むものは、中途退学、留年、就職が決まらなく引きこもりやニートに成り下がる。また、運よく就職(アルバイト、ハケン社員)になれたとしても、何故に自分は、生きているのだろう。っと自問自答しながら、結論がでぬまま社会へと出て行く。社会の不安を拭い切れず、社会を知り、大人達との矛盾を知り、不条理を知る。この辺で悩む方達は、ほとんど社会に適合しなく悩む事へと末路を辿ることになる。夢や目標を見つけた方は、なんとか不安定な社会でも順応、適用して生きていけるが・・・人生の夢、目標が定まらないまま社会人に入った方達は、偽人生を歩みながら、生きる事の意味の疑問を持ち続け生きている。

人間は、生活をする為に、人間の宿命を背負い、人生を歩き続けなければならず、人生の途中、生きる事はどういうことか。っと何かの問題に直視した時にぶつかった拍子で、いままでの人生は、自分にとっていったいなんだろう。っと、また、思う時があり、退職、離婚など・・・また、自分探しの人生が始まることもある。
まあ「人生の方程式」を解くのも必要な時もあるかもしれないが・・・入り込みす過ぎるとろくな事は無い。

人間は、生きる事の辛さから自己逃避をしたくなるものだ。人間は、生と死、の挟間で生きている。だから、辛い時は、どちらかを選択しょうと悩んだりする。上記に述べた「人生の方程式」を解いてみた。人間は、本来持っている欲、生き甲斐が無ければ真の人間の人生を送れない。人生の生活手段として、目標を立て、夢や希望に向かって人間は、生きられるのだ。一番大切なことは、自分に自信を持つこと自分を信じる事から始まる。

そこには、もう一つ大切な事がある。それは、「伴侶」である。男と女が創生されたのも、人間本来の本能の寂しがりやであるのか。生まれる時や死ぬ時は、別々だから、生きている時ぐらいは、できるだけ互い寄り添う時間を長く生きたいものだ。(子孫繁栄もあるかもしれないが、ここでは、あえて触れない。)

「何故人間は生きなければならないのか?」人間本来の姿は、伴侶を娶り「人生を語り」、生きていくことが、宿命なのだ。

昔の人は、よく言っていた。人間、暇があるとろくな事を考えない。だから、毎日、生活手段を精一杯励む事に努めるのだと・・・

P.S:
上記に述べた中で真の「幸せの根本」を書き綴りました。社会が進歩する中、人間は、本来の「幸せの形」忘れているようです。しかし、時代進歩して新文化が構築される中、「偽の幸せ」も、いか仕方ないのかも知れません。
でも、人間の本来の姿が基本である事を忘れないでください。声を代にして強く言いたい。

2008年8月1日金曜日

【褒める文化】

【褒める文化】
人間が性を受け大人に向かって成長していく上で「褒める」ということは、万物霊長しかない。動物の世界には、感情と言うものが存在しない。それに近い仕草はするが・・本能がそうさせるだけ。知恵の持つ人間だけの特権なのだ。
今の若者の中に、よく聞く言葉がある。それは、「褒められて伸びる子です。」っと洒落的な言葉が連発する。冗談で、子供が、親にも言っていることに気が付いた事があるだろうか。?このような言動は、子供から親への信号なのだ。褒められて育っていない大人達は、マンネリ化された生活に押し流され、たんなる子供の冗談として片付けてはいないだろうか?余談だが・・・男性が女性とお知り合いになる時は、必ずと言っていいほど女性に褒め称えている求愛行動をするところを見たことがあると思います。本来人間は、褒める文化なのである。このこと(褒める)いろいろな事に当てはまる。人間社会の人間関係、男女関係、夫婦関係、親子関係、上司と部下の関係、先輩後輩の関係、友達関係、・・・・etc。
戦後も、その前の時代も「褒めるが・・違った取り方に置き換えられ虐げられてきました。」それは、手柄とか、などな・・・国民は、自由をある程度確立して「褒める文化」を人間本来の形に戻りつつある様ですが・・。しかし、戦後間もない大人達は、育ての親に褒められてこなかった。大人達が沢山います。社会が国土復興真っ只中、大人達は、そんな余裕すらなかったのだろう。情勢が違えども、今も引き摺っています。現代社会は、社会が平和になった分、社会が複雑化して人間知的能力を要求される背景の中、社会が益々過激になり、人間関係の行動的はけ口や社会への人間責任が重くのしかかり抑圧された人間達は、制御しきれず壊れて来る人達がでています。複雑化した社会へと変貌とかし、その様(無理な人間知的能力を要求など)な要素が重なり合い本来「褒める」文化が喪失しつつあります。
社会に打ち勝つ知的能力、精神力(根性)は、どう育成するか?小さい時から始まる。その為には、いろいろな原因を改善していかなければならない。まず、・社会構造-(前からのべているが・・大胆発想で改革)←以前のブログで述べています。・学校教育過程-(道徳時間のなかで出来る限り人間本来の形を教える)・家庭環境-(夫婦間のコミュニケーション、大人と子供との時間を作る)←社会の構造上で家庭環境が構築されにくい現状です。また、昔からの仕来り、風習なども有ります。男女間での相違もあります。一言では、表現できません。また、上記の事は、徐々にお話していきます。)
大きく分けて上記の三要素(人間のことだけで述べています)に分かれると思います。上記の事が初期段階です。褒める文化とは何?あたたを中心に考えてみてください。人それぞれ育った環境、いろいろの環境、などが違いますが広い視野でここでは、見てください。上記にも触れましたが、万物霊長のみ授かった特権なのです。人は、けなされるより褒められた方が気持ちいいでしょう。心地いいでしょう。褒めるにも闇雲に褒めただけでは、逆効果もある事を知っておいてください。「豚も褒めれば(煽てれば)気に登る」誰が言ったか存じえませんが・・名言です。あなたも、褒められて、いつの間にか行動する自分を発見した事はないですか?人間は、本来褒められて生きる動物なのです。
人間は、すぐ感情的に走りやすい動物です。冷静に対応すれば違った世界が見えてきます。その人に感情的になる前に以前の良い事を褒めてみましょ。そこから人間関係が始まるような気がします。