2010年4月22日木曜日

【普天間移設問題を期に日米安保を撤回し日本の国主権を取り戻すべく時代が到来している事に日本国民は気が付かなければならない。】

戦争の歴史は、世界何処の国も今も抱えた問題であり、日本も戦後(第二次世界大戦)の柵(しがらみ)をいまだ引きずり今日の日本背景となっている事実は、否(いな)めません。日本国民は、この事実に戦後の時代の流れの中で沈黙を通し続け高度成長期の時代の流れと供に過去の記憶を消し去ろうと無意識に過ぎ去った過去の代償が政治家や今国民に大きく圧(の)し掛かっているこの事実をもう過去の時代の様に避けては通れない時期に来ている事に政治家や国民は未来国家の為に今の日本の現状を把握し気が付き前向きな政治姿勢を日本は提示していかねば日本の未来は無い。現在も党の中に過去の政治家さんな振る舞いを憧れ現在の政治姿勢を問われている中に措いても捨て去り切れない政治家さんが多く混在しているが時代の流れと供に淘汰(とうた)されていくだろう。

現在、日本国内は、いろいろな面から見ても深刻な状態に立たされている事はご承知と思うが如何なものか?
一、日米安保の存在の抜本見直し
一、普天間米軍基地移設問題
一、隣国の思想から起きる政治要因

日本が抱える問題事情を上げればまだまだ色々の問題があるが、今、日本にとって大きく左右する問題として取り上げれば上記の三点に絞られるのではないだろうか?あちらこちらなどで、普天間移設問題に関していろいろ問われている。アメリカのマスメディアが日本の首相を批判した記事が話題になっているが、国内マスメディアはそれに対して反論しているのだろうか?確かに現在の日本の首相の政治政策は褒めたものではないが、上記に関しては、国内政治問題とひっくるめた首相批判は、天に唾(つば)を吐くと同じ事で日本人でありながら日本の誇りを捨て去る行為でもあり、日本人はこんなに愚かな国民なのか?日本の首相批判した事は日本国民をも批判した事であり怒りを露(あらわ)にし批判に対して主張を表現すべきである。日本を代表する首相がマスメディアで叩(たた)かれる事は、日本国人として余り気持ちいいものではない。ましてやアメリカさんに言われる事は少し筋が違うのではないか。何故に普天間米軍基地が存在したかが問題なのであり、アメリカの主張には、いささか疑問がある。以前からのアメリカの横暴さが露天してきたが、国家破綻にも垣間(かいま)見れずいまだに変わらぬ国家思想が反映し見え隠れし国民をも道連れにする国家陰謀が未だに続いている。

少し余談だが日本にも国を護り国民を護る「自衛隊」がある。世界にある「軍隊」という名前ではないが、しかし国をも護っていることに違いは無い。その自衛隊の人達は口々に発している事がある。「国民が信じなくして何故に国を護る事が出来よう。」っと、しかし、国を護る事が勤めであり任務であるからして責務を果たしていると言う。個々の人達もそうであろう。信じる者が居てこそ生き甲斐があるのではないか。あまりにも今の日本人は、利己主義的な人達が多い。資本主義が民主主義をも変え人間をここまで堕落させたのか?現在の資本主義定義は「利潤追求」から世界が動いているといってもいいだろうが、しかし、本来の民主主義とは少しかけ離れた社会になったように思う。人間、分かっていると自負するも意外と分かっていない事が多いことに気が付くことがあるだろう。しかし、気が付こうと努力しない限り、肝に銘じなければ分からないものであることも事実。個々の人達も政治家さんも、もう一度冷静に社会、世界情勢を把握して見てはいいのではなかろうか。

本題に戻ろう。何故に普天間米軍基地移設問題が起きたか?からおさらいして述べたい。衆議院選挙での公約から沖縄国民が政権交代大きく変わるのではないかという期待が裏切られた形から沖縄国民の怒りが頂点に達したのではないか?衆議院選で民主党のあるお偉いお方が日米間に関して力説していたのを思い浮かぶ。日米安保期限も切れる時期も来ていることから日本も戦後の怠慢政治から脱却し変革が起きるのではないかと国民の多くが期待していた事も事実。しかし、衆議院選挙後これといった政治政策が目立たなく、頓珍漢な政治姿勢が続く今日(こんにち)、国民ももう匙(さじ)を投げたようでもある。普天間米軍基地移設問題を発端にして日本の国家主権を視聴すべきであり、戦後永期(ながき)に渡る知らん振りを決め込む事はもうこれからは出来ないであろう。本州の国民も沖縄だけに荷を背負わせる事から目をそらさず真剣に向き合って供に普天間米軍基地移設を「排除」を抜本から取り組み戦わなければならない時代に来ていることに気が付かねばならない。国民と国家を担う関係者さんと供に団結し国家主権をアメリカから取りも戻さなければ「真の日本」はない。

対等の外交も自由主義の一貫(いっかん)であり、これからの外交は下目線上目線の外交ではなく個々の国々との対等的な立場外交が未来の国づくりでありグローバルな未来の社会作りの根源でもある。日本外交は、謙虚的な外交を「美徳」としてきたがそれは日本文化の良さでもあるが国内でしか通用しなくこれからの外交は、互いの国家の利権に伴う外交が本来の姿であり、謙虚さは、もっとその上に成り立ってこその日本の謙虚文化であるように思える。
民間企業では、少し古い言い方になるが「ギブ・アンド・テーク」が企業交渉の一番の基本姿勢で、ここから物事が始まるのでありここから取引が勝負なのである。日本の外交を見ているとやっぱり煮い切れない態度だけが相手方に伝わり困惑してしまうのだろう。日本外交は、弱腰ではなくもっと意思表示をしっかりとした主張を心掛けるべきである。

しかし、徐々にではあるが日本も変わってきていることも事実で、日本を変革しようと今現在いろいろな問題にご努力されている方達も沢山居ることを・・・国民も政治家さん、閣僚さんの中にも大和魂を持つ人達も沢山居ることを忘れてはならない。


隣国の思想から起きる政治要因に関しては、ここでは触れない事にします。下記ウィキペディアさんの抜粋やリンクをご参照ください。

朝鮮戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89


日本の戦争犯罪
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E7%8A%AF%E7%BD%AA
以下文面は上記アドレスウィキペディアさんリンクから抜粋

日本の戦争犯罪(にほんのせんそうはんざい)とは、一般に第二次世界大戦で日本(大日本帝国)が犯したとされる戦争犯罪の事。

各地で開かれた軍事法廷などで戦勝国によって一方的に裁かれた戦争犯罪人は日本の国内法上犯罪人として扱われていないこともあり、日本において戦争犯罪と扱うかどうかは議論がある。

軍事法廷の評価・戦争犯罪とされた事例の存否・あるいは近年になって新たに提起されるようになった事例についての検証と議論が巻き起こっているが、それらを含んだ戦争賠償・補償ついては日本と被害各国との間で条約・協定等が締結、履行された事と各地の軍事裁判で判決を受け入れたことで償われており、国際法上、既に決着している。


日本の戦争賠償と戦後補償
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F